2007-04-02
ニンテンドーミュージアム行ってきました
3月28日〜4月2日の間に大阪梅田の阪急百貨店本店7階で開催の「ニンテンドーミュージアム」に行ってきました。
一人で。
わたくし、1980年生まれとあって、もはや任天堂の「ファミリーコンピュータ」が幼少期の全てであったといっても過言ではないくらい密接した関係でありました。4歳でピンボールをプレイし、5歳でマリオブラザーズの「ころしあいプレイ」で社会の厳しさを学び、6歳でドラクエ2の「ふっかつのじゅもん」によって読み書きを覚えたのです。(持ちネタの1つですが実話。) その他、気がつけば任天堂の玩具に触れていたような気がします。
身体の成長と共に TV ゲームの発展がありましたが、実はそれはたった25年間のお話です。実は任天堂は TV ゲームの代表的な商品「ファミリーコンピュータ」に至るまでにも様々な歴史があります。その長さおよそ100年近くに渡る任天堂の、当時のチャレンジとその素晴らしい歴史をしっかりと体験してきました。
入り口でマリオと、最近「緑」の座を奪われつつあるもう一方のヤツが出迎えてくれます。
壁一面にどどんと書かれててでかい!黒をバックに、ドット部分にバックライトを当ててます。正直 cool だと思った。
まずは任天堂の歴史から。
横井軍平氏初の大ヒット商品ウルトラハンド。私もこのオリジナルではないですが、幼少期にお世話になった遊び道具の1つです。割り箸と輪ゴムで作ったりとか。
トリビアの泉でも取り上げられた「ラブテスター」。対になったケーブルの両端を男女が握り、発汗量で相性および愛情を測る装置。「Electronic」の文字がまた素晴らしい。
今でもよくある幼児用ドライビングゲームのはしり「ドライブゲーム」。デパート屋上の遊園地などで設置されているタイプからの初の家庭用移植を行ったのがこれらしいです。むき出しの車とそれを釣るワイヤーがまたいい味を出してます。
うわーこの系統の更なるお手軽版みたいなやつ(or パクリバージョン)で良く遊んでたなー :-)
一定年齢以上の人の任天堂のイメージと言えばこちらの花札、トランプ。任天堂の創設1889年で、その頃から現在に至るまでずっと続けている事業の1つですね。良くわからない札もあります。
当時の店頭用ポップ。今では外人さんが喜びそうなデザイン。わたしも欲しい。
今でもシェアNo.1を誇る(だったはず…。TOP3であることは間違いなし。)小倉百人一首かるた。京都の時雨殿にも行きたいなあ。
テレビゲーム。本体とゲームソフトが一体化したような形式。下段中央のテレビゲーム15と右のテレビゲーム6で100万台以上を売り上げたらしいです。
ちなみに下段左のブロック崩しの本体デザインはあの宮本さんとのこと。
誰もがやったゲーム&ウォッチ。私もやりました。おそらく下段の1画面から始まって、最終的には今のDSみたいなダブルスクリーン形式になっていったと思いますが、その間にもボタンの形式が変化していってますね。
ちなみにドンキーコングを持ってたんですが、いつの間にか無くなっちゃったなあ。
あったあった( ^ω^) 麻雀のルールを知らなかったのでまともにプレイできなかったですが。通信ケーブルで対戦とかもできたのか。
ちなみに当時の商品のチラシ(パンフレット)などもあわせて展示されておりました。
うわー、これも持ってたわ。我が家は昔から任天堂優勢だったのか。
なんで3倍なのか良くわかりません。多分3パターンのゲーム(ただし難易度)ができたからなんだと思いますが。
横に開くタイプのゲームウォッチもあったのね。
アーケード筐体ゲームに関するものはこのドンキーコングのパンフレットだけでした。このテーブル筐体をはじめ、VSテニスの筐体とかも置いてくれてたらもっとクールだったのに。
というような反応をするので、いつも年齢詐称を疑われるようです( ^ω^)
てな感じでカメラで撮りまくってたら、後ろの関係者用出入り口からマリオが出てきてビビる。誰よりも早く写真に収めてやった!
でもホントは横に並んで一緒に撮ってほしかったんですけどね。このときばっかりは子供が羨ましかった…
さあいよいよ新しい歴史の始まる TV ゲーム部門へ。
ファミリーコンピュータ。1983年発売に対して、たしか84年のクリスマスで兄が貰った記憶が。ソフトはピンボール、マリオブラザーズ、ドンキーコング。黄色、橙、赤のソフト。
その後兄弟でアーバンチャンピオン、F1レース、ポパイなどを買ってもらう。F1レースは個人的に欲しくなくって、電車で帰りながらもうちが愚図って、結局最寄駅の玩具屋でポパイを買ってもらったのを凄い覚えてます。今考えたら1日で2本とか親もきつかっただろうに。あとその同日、エキサイトバイクは当時5500円で他のソフトと比べて若干高かった!ので買ってもらえなかったのも。嫌な幼児だなあ。
個人的には四角ゴムボタンの超初期コントローラのモデルが見たかったなあ。(本当に初めてプレイしたときはそれでした。)
ロボット!TV画面に表示されたブロックを動かすとロボットが動き、実際にブロックを移動させるという仕掛けでした。
同じ幼稚園に通ってた近所の子が持ってたなあ。初見は「おお!」と思うけど、多分すぐ飽きて。
ちなみにこれ発売以後は、何かしらの任天堂ゲームのパロディオブジェクトとしては欠かせない存在です。
さすがにこれらは持ってなかった。片や「玩具」として模索していたときの商品、片や「コンピュータ」としての商品ですね。
♪やればやるほど ディスクシステム!このフレーズと共に所ジョージがCMをやってたんですよねえ。1フレーズメロディを作ったのも多分所ジョージじゃないかなあ。(宝くじとかと基本的に一緒)
このディスクシステム、我が家にも極めて早いタイミングでありました。ゲームしてたのは我が兄弟だけだったのに……ファミコン本体も含めて、子供にお金を使ってたんだなあということを再認識させられる思い出深いものの1つでもあります。
ソフトも思い出深く、スーパーマリオ2、ゼルダの伝説、リンクの冒険、プロレス、さらには新・鬼が島といった、片面500円で書きかえれるとあって、一通りのものはやってたんじゃないでしょうか。ある意味ユーザのことを良く考えていたシステムでしたね。代わりに容量とローディング時間の問題を生み出し、結果消滅していく形となってしまいますが。
まさに正当進化なスーパーファミコン。初めてプレイした「スーパーマリオワールド」であのでかいキラーが吹っ飛んできたのを見た瞬間は本当に驚愕したものです。
その他ゲーム映像、音楽、ボリュームも一気にパワーアップしてて、F-Zeroのスピード感やアクトレイザーの音楽など感動しっぱなし。あとグラディウス3のアレンジ移植の巧さも。
スーパースコープ!
これ、買いかけたんですよ。危なかったです(?)
CM で少年がこれを肩に担いで、TV 前で片ひざ付いてやってて。ダメですねえ。
ニンテンドー64。このマシンが出た頃は既にサターンvsプレステ状態で、その両者のソフトもROM時代から比べると一気に下がっいて、ROMである64にとっては苦しい時期でしたね。ゼルダ専用機になってしまった人も多いのでは。
最後の学生時代と共に過ごしたこのマシン、19、20 と007ゴールデンアイ、そして大乱闘スマッシュブラザーズで大変お世話になりました。当時やり合っていた強敵と再び出来るような環境が欲しいんですよね、実は。みんなうちまで来いよ( ^ω^)
「ダメだったゲーム機」ということになってしまっているゲームキューブ。最終的には9800円まで下げたんでしたっけ…。しかし出ているソフトは良作が多く、最近になって Wii でも GC のゲームプレイできるとあって再評価されつつあるのは良いことですね。
これ久々に見れてすっごい嬉しかった。
昨日フリマで赤いゲームギアを保護していた人がいたのですが、彼女には是非こちらの赤いやつも保護する計画を立てていただければと思います。
ひじょうううううに楽しい時間でした。わたしゃあやっぱり任天堂信者だったことを思い知らされた!ショック!!
上のもの以外にもまだまだ一杯写真に収めてきています。また次の機会に改めて。